2010年10月23日
第12回オキナワ・クラブカルチャー
コーナー解説
那覇市でDJレコードショップを16年経営し、フリークプロダクションとしてもオキナワのクラブシーンに貢献してきたアンクル・カヤに、NY、東京のクラブの発祥時期から現在のオキナワクラブシーンにいたるまで、糸数美樹が質問をしながら語っていただくコーナーです。
今回 第12回放送のテーマは 「フリークショウ!の歴史 後編」
K) さて、アンクルの運営するレコードショップ(フリークショウ)16年の歴史 後編です。
最初があれば終わりがある。終わりがあれば、また始まりがあるのです。
何か 銀河鉄道999 みたいですね~ メーテルが僕で ミキトニーが鉄郎ですよ(笑
前回放送も そうですが、語ることが多くて 時間がおしてしまいましたね~
早口放送だったので 記事とレアショットはコチラで~
さて前回の放送で フリークショウ!の第1期1994-1995。
そしてDJ、アナログ絶頂期の国際通りの店舗1995-1999 の第2期を紹介しました。
今回は2000あたりからの第3期と 2007からの現在のショップの第4期を紹介していきます。
第2期1995-1999あたりはは渋谷全盛期を迎え、渋谷にも何十件とレコード屋が出来、世界一のレコ屋街となりました。
前回に紹介しましたが、第2期フリークショウ!はアパレルやレコ屋、イベント運営色々チャレンジした訳です。
ヒップホップ・ブームもDJもクラブも絶頂でした。うちのショップを通して県内のDJやラッパーが集合した訳で
ウチも積極的に動き、その結果アーティスト育成、音楽製作部門のフリークプロダクションが発足された訳です。
週末スタッフも勤めたDJヒンガヒガ
バトルDJも集まりました
そのプロダクション運営の方ですが、MU、C響、風神雷神、DJヒンガヒガが所属し、当時SONYで発足された藤井フミヤさんや辻仁成さんのレーベルにひっかり契約したり、県内初のHipHop-Reggae Streetコンピレーション「Aサインブートレッグ・シリーズ」をスタートさせました。私のラップチーム「MU」のアルバムもリリースしました。所属のDJヒンガヒガも日本チャンピオンや数々の賞をとり全国を回りました。
風神雷神 中央 辻 仁成
そういった感じなので 勿論レコ屋は変わらず営業しましたが、制作部門やアーティスト活動がメインになった時期ですね。
このショップの後期にはAWICHもきて、デヴューしていく訳ですからね。
世の中は渋谷でギャル全盛期でした。
1999にホンダプロダクションに協力して渋谷109前でITFのDJ日本バトルイベント公開イベントを仕掛けた事もあります。
1999 NY DMC世界大会 DJ ZOE(大阪) DJ $HIN(大阪) DJ Hinga HIGA
のチームPLANET CHOPPIN FINGAZ 名前はアンクルが命名しました。
東京、西麻布のクラブYellowで初の沖縄ナイト(ニライカナイ)を主催したこともあります。県内からDJやバンドを連れて行きました。
1999 オキナワナイト(ニライカナイ) 西麻布 YELLOW
MU / TAKUJI aka GEETEK / Doggy Suck / キイチ(火の玉)/ Nu-Doh / VIVA / アマナ / DJ Hinga HIGA
2004 オキナワナイト(MoASYBY04) 下北沢 Basement / Wedge
DJ unqle KAYA / KAMA / DJ LARK (Jetset AYB FORCE) / 須永辰緒 / DJ JUNKO / SHU / 岡本ホーテン / VIVA / MU / 柴田チエ(ハワイアン)/
2009 オキナワナイト 渋谷
K)そうやってレコ屋と同時に制作活動も進んだのですが、アルバムをだした後MUやHingaHIGAらの活動が落ち着くわけです。そして6年前、相方のKAMAが寿退社と申しますか、東京に戻る訳です。
で、フリークショウ!はkaya と kamaの子供という感じだったので
2004年10月に店名を Naha City Recordにしました。
KAYA & KAMA
DJ HISABO(沖縄) / DJ $HIN(大阪)
パラダイス通りの2Fのこの場所は、最も長く営業した店舗であり、現在の沖縄の中堅DJも通っていただいた場所です。
お客さん、DJ,プロダクションの仲間、主催したイベント、ミックステープ制作など語りきれない程の思い出がありますね。
そして現在の位置のお店の第4期フリークショウ!にはいります。
店舗契約期間切れと制作が増えた関係で、松尾の1Fに移転。アナログ、DJブームは下降気味の影響も有り、
商業主義のヒップホップやトランスなどのアイテムはカットし、腐らない良質なクラブ・ミュージックとクラブ・クラシックスの
オリジナル盤を中心に扱うショップとしました。また90年初期から運営しているミックステープ・レーベルや制作部門の「フリーク・プロダクション」のアーティストも好調で全国にリリース出来ている状況もあり、そのオリジナルCDや世界各国の良質なミックスCDも展開しました。
今はもうないビルの壁画
kaya / アーティスト 安藤卓二
現在のショップのテーマは、「84年代のNY」をイメージしてます。音楽がまだ、ヒップホップやハウス、テクノなど
細かくジャンルに分かれる前の最もヤバい頃のNYであす。
アートでは、アンディやキースヘリング、バスキアなどのポップアート、フューチュラなどのグラフィティアーティストが生まれ、
アンダーグラウンドでは、UKから上陸したパンクやサウスブロンクスで生まれたばかりのヒップホップが交配を繰り返していた時期である。バスキアとマドンナが付きあっているという噂が流れ、黒豹、初の黒人モデル、グレイス・ジョーンズがNYナイトクラブで注目された。私が敬愛するラリーレヴァンの「パラダイス・ガラージ」も大きい存在だった。
アート、ミュージック、人種、がメルティングポット(人種のるつぼ)のNYで混ざり合い新しいものを生んだ時期である。
当時のNYは不景気で世界の中で最も危険な街とされたが、皮肉にもそういった時や場所のほうが何かを生むのかもしれませんね。那覇、沖縄もそうあってもらいたいという気持ちがありました。
余談ですが2010年にNY有名なラップチームの「ビートナッツ」が沖縄ライブの際、お店に買い物にきてくれました。
特に「ネタ堀り」に熱心なJUJU氏とカウンター内で話したところ、ヒップホップ~ラテン好きと思われた彼が異常にガラージ系や所謂80年代のNYクラシックスに反応した。「よいお店だ」と褒めてくれたのも嬉しいが、同世代な彼が、十代の頃の80年代のNYの事や曲の事を熱く語ってくれたのも嬉しかったです。
デトロイトからのDJもそうですしMURO氏なんかも来て沢山買ってくれましたね。
DJ3000 from デトロイト
LONDONから沖縄に移住
パトリック フォッジ氏
来沖の際、よくお店にきていただいた KING
MURO氏
フリークショウの初期(第一期)の頃から通ってくれているお客さんや友人はオープンの頃の第1期の店のイメージと
似ていると言ってくれます。
第三期の店舗時代は制作や自身のアーティスト活動に力を入れたかったので、あまり店頭にたたず、接客は控えめにしていた。現在のショップでは、自ら初心を思い出し店頭でお客さんと熱く語れるようにしていました。
店内は黄色い、カワイイ小さい店です。お寿司屋さんに例えると、大衆音楽やチャート売れ筋音楽を多くのファンに安く提供するのが「回転寿司店」とすると、当店は、感性や職人的セレクトを重視する「老舗の寿司屋」であると思う。
今は、回転寿司にしか行った事のない若い方も多いと思うが是非、日本文化を受け継ぐ老舗の寿司屋にも顔を出して欲しいですね。やはりお店では、ネットや通販では味わえないコミュニケーションや発見が必ずある。一流のDJやコレクターはレコ屋との付き合い方が上手いと思います。
GROOVE誌 沖縄特集
オキナワクラブの道先案内人として アンクルカヤ 紹介されました。
写真を紹介したところですが、16年続けたフリークショウ!は一時お休みする事になりました。
実は夏くらいに急に決めたのです。売上げなどは良くも悪くも変わりませんので、私的には2年後でも2年前でもよかったのです。ただフリークショウ!という代紋を守り沖縄のクラブカルチャーと共に成長したショップ、出会いの場所というものをキープしたかったのです。故郷の港のような存在ですね。
しかし今、言わなければなりませんね。
クラブカルチャーというものは終息を迎えようとしているのかもしれません。
例えば HIPHOPが2000前に終ったように、ROCKやJAZZやDISCOがそうであったように、、、
私は、これらのものが決して無くってるとは言っていません。
例えば人間で言うと幼年期、青年期、中年期、老年期があるように、ジャンルやカルチャーにもそれがあるのです。
人生で言うなら決して青春期ばかりがいい訳ではありませんが、勢いや代謝というものは必要なんです。
音楽も大不況と言われています。クラブも新しい感覚が無くなり落ち着いたカルチャーとなっています。
世の中はデータ化されコピーが増え、アーティストが食うにはきつい時代になってます。
私も16年レコード屋で何十万枚と世界の作品を扱ってきました。
DJも20年くらいしてまし、自分のCDも人の作品もプロデュースしたりディストリビュートしてきました。
だから言えます。きつい時代なんです。
アナログや温かいライブが減って、デジタルやコピーの時代なのです。
人は便利なものを追うあまり少し大切なものや本質を失っている時期なのです。勿論 気付いて努力している人もいますよ。
ただ時代の流れ、変革期なのです。
5年後の理想の為に、私もフリークショウ!も変わらなければならないんですね。沖縄に移住してきて、クラブカルチャーの中で誰もやってない新しい仕掛けやイベント作品をやってきました。ひと通りはやりましたよ。
なので、これからも新しい事に挑戦したいと思います。
実は、この番組オキナワコーリンも私の進むべき方向の1つだと思います。沖縄から世界に発信する。バブル80年代物質社会、90年代IT時代が終わり、
新しく迎える精神時代に私たちがどうチャレンジしていくかが問われているんですね。PCの扱いや情報収集が上手いだけでもいきません。
右から左に流すだけの流通、金儲けが上手いだけでもいきません。
デザインやアートも出尽くしたかもしれない。流行にのるアーティストやDJも長く食えない。
さあ、どうするかです。特に恵まれた日本から変えていかなきゃならない。
海と自然に守られた沖縄から発信するのも面白いでしょう。私、17年目ですがね、、(笑
お店は10月いっぱいやってます。商品もかなりなくなりましたが、大SALE中ですよ~
今月いっぱいで、お客さんやDJに会えなくなるのは少し寂しいですが、今後クラブイベントやDJを増やそうと思います。
しばらくは、そちらであいましょう!
そして、ここ! この番組オキナワコーリンでも逢えますからね。
正式 フリークショウ!ロゴ
那覇市でDJレコードショップを16年経営し、フリークプロダクションとしてもオキナワのクラブシーンに貢献してきたアンクル・カヤに、NY、東京のクラブの発祥時期から現在のオキナワクラブシーンにいたるまで、糸数美樹が質問をしながら語っていただくコーナーです。
今回 第12回放送のテーマは 「フリークショウ!の歴史 後編」
K) さて、アンクルの運営するレコードショップ(フリークショウ)16年の歴史 後編です。
最初があれば終わりがある。終わりがあれば、また始まりがあるのです。
何か 銀河鉄道999 みたいですね~ メーテルが僕で ミキトニーが鉄郎ですよ(笑
前回放送も そうですが、語ることが多くて 時間がおしてしまいましたね~
早口放送だったので 記事とレアショットはコチラで~
さて前回の放送で フリークショウ!の第1期1994-1995。
そしてDJ、アナログ絶頂期の国際通りの店舗1995-1999 の第2期を紹介しました。
今回は2000あたりからの第3期と 2007からの現在のショップの第4期を紹介していきます。
第2期1995-1999あたりはは渋谷全盛期を迎え、渋谷にも何十件とレコード屋が出来、世界一のレコ屋街となりました。
前回に紹介しましたが、第2期フリークショウ!はアパレルやレコ屋、イベント運営色々チャレンジした訳です。
ヒップホップ・ブームもDJもクラブも絶頂でした。うちのショップを通して県内のDJやラッパーが集合した訳で
ウチも積極的に動き、その結果アーティスト育成、音楽製作部門のフリークプロダクションが発足された訳です。
週末スタッフも勤めたDJヒンガヒガ
バトルDJも集まりました
そのプロダクション運営の方ですが、MU、C響、風神雷神、DJヒンガヒガが所属し、当時SONYで発足された藤井フミヤさんや辻仁成さんのレーベルにひっかり契約したり、県内初のHipHop-Reggae Streetコンピレーション「Aサインブートレッグ・シリーズ」をスタートさせました。私のラップチーム「MU」のアルバムもリリースしました。所属のDJヒンガヒガも日本チャンピオンや数々の賞をとり全国を回りました。
風神雷神 中央 辻 仁成
そういった感じなので 勿論レコ屋は変わらず営業しましたが、制作部門やアーティスト活動がメインになった時期ですね。
このショップの後期にはAWICHもきて、デヴューしていく訳ですからね。
世の中は渋谷でギャル全盛期でした。
1999にホンダプロダクションに協力して渋谷109前でITFのDJ日本バトルイベント公開イベントを仕掛けた事もあります。
1999 NY DMC世界大会 DJ ZOE(大阪) DJ $HIN(大阪) DJ Hinga HIGA
のチームPLANET CHOPPIN FINGAZ 名前はアンクルが命名しました。
東京、西麻布のクラブYellowで初の沖縄ナイト(ニライカナイ)を主催したこともあります。県内からDJやバンドを連れて行きました。
1999 オキナワナイト(ニライカナイ) 西麻布 YELLOW
MU / TAKUJI aka GEETEK / Doggy Suck / キイチ(火の玉)/ Nu-Doh / VIVA / アマナ / DJ Hinga HIGA
2004 オキナワナイト(MoASYBY04) 下北沢 Basement / Wedge
DJ unqle KAYA / KAMA / DJ LARK (Jetset AYB FORCE) / 須永辰緒 / DJ JUNKO / SHU / 岡本ホーテン / VIVA / MU / 柴田チエ(ハワイアン)/
2009 オキナワナイト 渋谷
K)そうやってレコ屋と同時に制作活動も進んだのですが、アルバムをだした後MUやHingaHIGAらの活動が落ち着くわけです。そして6年前、相方のKAMAが寿退社と申しますか、東京に戻る訳です。
で、フリークショウ!はkaya と kamaの子供という感じだったので
2004年10月に店名を Naha City Recordにしました。
KAYA & KAMA
DJ HISABO(沖縄) / DJ $HIN(大阪)
パラダイス通りの2Fのこの場所は、最も長く営業した店舗であり、現在の沖縄の中堅DJも通っていただいた場所です。
お客さん、DJ,プロダクションの仲間、主催したイベント、ミックステープ制作など語りきれない程の思い出がありますね。
そして現在の位置のお店の第4期フリークショウ!にはいります。
店舗契約期間切れと制作が増えた関係で、松尾の1Fに移転。アナログ、DJブームは下降気味の影響も有り、
商業主義のヒップホップやトランスなどのアイテムはカットし、腐らない良質なクラブ・ミュージックとクラブ・クラシックスの
オリジナル盤を中心に扱うショップとしました。また90年初期から運営しているミックステープ・レーベルや制作部門の「フリーク・プロダクション」のアーティストも好調で全国にリリース出来ている状況もあり、そのオリジナルCDや世界各国の良質なミックスCDも展開しました。
今はもうないビルの壁画
kaya / アーティスト 安藤卓二
現在のショップのテーマは、「84年代のNY」をイメージしてます。音楽がまだ、ヒップホップやハウス、テクノなど
細かくジャンルに分かれる前の最もヤバい頃のNYであす。
アートでは、アンディやキースヘリング、バスキアなどのポップアート、フューチュラなどのグラフィティアーティストが生まれ、
アンダーグラウンドでは、UKから上陸したパンクやサウスブロンクスで生まれたばかりのヒップホップが交配を繰り返していた時期である。バスキアとマドンナが付きあっているという噂が流れ、黒豹、初の黒人モデル、グレイス・ジョーンズがNYナイトクラブで注目された。私が敬愛するラリーレヴァンの「パラダイス・ガラージ」も大きい存在だった。
アート、ミュージック、人種、がメルティングポット(人種のるつぼ)のNYで混ざり合い新しいものを生んだ時期である。
当時のNYは不景気で世界の中で最も危険な街とされたが、皮肉にもそういった時や場所のほうが何かを生むのかもしれませんね。那覇、沖縄もそうあってもらいたいという気持ちがありました。
余談ですが2010年にNY有名なラップチームの「ビートナッツ」が沖縄ライブの際、お店に買い物にきてくれました。
特に「ネタ堀り」に熱心なJUJU氏とカウンター内で話したところ、ヒップホップ~ラテン好きと思われた彼が異常にガラージ系や所謂80年代のNYクラシックスに反応した。「よいお店だ」と褒めてくれたのも嬉しいが、同世代な彼が、十代の頃の80年代のNYの事や曲の事を熱く語ってくれたのも嬉しかったです。
デトロイトからのDJもそうですしMURO氏なんかも来て沢山買ってくれましたね。
DJ3000 from デトロイト
LONDONから沖縄に移住
パトリック フォッジ氏
来沖の際、よくお店にきていただいた KING
MURO氏
フリークショウの初期(第一期)の頃から通ってくれているお客さんや友人はオープンの頃の第1期の店のイメージと
似ていると言ってくれます。
第三期の店舗時代は制作や自身のアーティスト活動に力を入れたかったので、あまり店頭にたたず、接客は控えめにしていた。現在のショップでは、自ら初心を思い出し店頭でお客さんと熱く語れるようにしていました。
店内は黄色い、カワイイ小さい店です。お寿司屋さんに例えると、大衆音楽やチャート売れ筋音楽を多くのファンに安く提供するのが「回転寿司店」とすると、当店は、感性や職人的セレクトを重視する「老舗の寿司屋」であると思う。
今は、回転寿司にしか行った事のない若い方も多いと思うが是非、日本文化を受け継ぐ老舗の寿司屋にも顔を出して欲しいですね。やはりお店では、ネットや通販では味わえないコミュニケーションや発見が必ずある。一流のDJやコレクターはレコ屋との付き合い方が上手いと思います。
GROOVE誌 沖縄特集
オキナワクラブの道先案内人として アンクルカヤ 紹介されました。
写真を紹介したところですが、16年続けたフリークショウ!は一時お休みする事になりました。
実は夏くらいに急に決めたのです。売上げなどは良くも悪くも変わりませんので、私的には2年後でも2年前でもよかったのです。ただフリークショウ!という代紋を守り沖縄のクラブカルチャーと共に成長したショップ、出会いの場所というものをキープしたかったのです。故郷の港のような存在ですね。
しかし今、言わなければなりませんね。
クラブカルチャーというものは終息を迎えようとしているのかもしれません。
例えば HIPHOPが2000前に終ったように、ROCKやJAZZやDISCOがそうであったように、、、
私は、これらのものが決して無くってるとは言っていません。
例えば人間で言うと幼年期、青年期、中年期、老年期があるように、ジャンルやカルチャーにもそれがあるのです。
人生で言うなら決して青春期ばかりがいい訳ではありませんが、勢いや代謝というものは必要なんです。
音楽も大不況と言われています。クラブも新しい感覚が無くなり落ち着いたカルチャーとなっています。
世の中はデータ化されコピーが増え、アーティストが食うにはきつい時代になってます。
私も16年レコード屋で何十万枚と世界の作品を扱ってきました。
DJも20年くらいしてまし、自分のCDも人の作品もプロデュースしたりディストリビュートしてきました。
だから言えます。きつい時代なんです。
アナログや温かいライブが減って、デジタルやコピーの時代なのです。
人は便利なものを追うあまり少し大切なものや本質を失っている時期なのです。勿論 気付いて努力している人もいますよ。
ただ時代の流れ、変革期なのです。
5年後の理想の為に、私もフリークショウ!も変わらなければならないんですね。沖縄に移住してきて、クラブカルチャーの中で誰もやってない新しい仕掛けやイベント作品をやってきました。ひと通りはやりましたよ。
なので、これからも新しい事に挑戦したいと思います。
実は、この番組オキナワコーリンも私の進むべき方向の1つだと思います。沖縄から世界に発信する。バブル80年代物質社会、90年代IT時代が終わり、
新しく迎える精神時代に私たちがどうチャレンジしていくかが問われているんですね。PCの扱いや情報収集が上手いだけでもいきません。
右から左に流すだけの流通、金儲けが上手いだけでもいきません。
デザインやアートも出尽くしたかもしれない。流行にのるアーティストやDJも長く食えない。
さあ、どうするかです。特に恵まれた日本から変えていかなきゃならない。
海と自然に守られた沖縄から発信するのも面白いでしょう。私、17年目ですがね、、(笑
お店は10月いっぱいやってます。商品もかなりなくなりましたが、大SALE中ですよ~
今月いっぱいで、お客さんやDJに会えなくなるのは少し寂しいですが、今後クラブイベントやDJを増やそうと思います。
しばらくは、そちらであいましょう!
そして、ここ! この番組オキナワコーリンでも逢えますからね。
正式 フリークショウ!ロゴ
Posted by unqle K at 17:39│Comments(0)
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