2010年09月29日
第10回クラブカルチャー
コーナー解説
那覇市でDJレコードショップを16年経営し、フリークプロダクションとしてもオキナワのクラブシーンに貢献してきたアンクル・カヤに、NY、東京のクラブの発祥時期から現在のオキナワクラブシーンにいたるまで、糸数美樹が質問をしながら語っていただくコーナーです。
今回 第10回放送のテーマは 「伝説のクラブ BUMP Pt.2」
前回は、現在、国際通りのBeGREEN場所にあった伝説のCLUB 「BUMP」を語りました。
今回は、そのBUMPのパーティの中でも際立って人気のイベント「エクセレント」を紹介!
そのパーティは、ゲイMIXパーティなのですが、
今回はその話にも関係して切っても切り離せない クラブカルチャーとゲイカルチャーの話を
しました。(新宿二丁目~80年代NY パラダイスガラージ~ラリーレヴァン)
番組の放送では、ミキトニーが、私が参考までにと渡したゲイ雑誌「BADI」にショックを受けたり、私も少々熱く語りすぎたので、補充も含めて UPしてます~
熱いトークお好みの方は↓番組へどうぞ
沖縄エクセレント、東京、NY~ゲイ・クラブのスペシャリティ
前回の放送「伝説のクラブBUMP pt.1」では、当時のビッグなパーティを紹介しました。
その中でも際立って目だっていたのが M-893氏プレゼンツの「エクセレント」は県内初のゲイ・ミックス・パーティである。
私はストレートなのですが、第1回目のパーティにオーガナイザーで参加したので詳細を語ることができますが、
一言でいうと、そこには、それまでの沖縄にない都会感と華やかさがありました。
特に一回目のパーティは、「沖縄にもこんなにゲイの方がいらっしゃったんだ~」と思わせる位、
沖縄、本土、外人の「組合の方」が集まり、ドラッグクイーンや仮装した女性も多く参加した。
2FのVIP席ではシャンパンが空けられ、まさに「大人達の宴」そのものであった。
オーガナイザーのM‐893氏は当時の「エクセレント」をこう語ってます。
「エクセレントは、東京のパーティ「ブレンド」を参考にさせていただきました。
パーティネーム同様、大人の感覚を大切にする
ゲイ・ミックス・パーティです。2000年9月からスタートし過去12回開催し現在までトータル集客は1万人をこえるでしょう。
沖縄では稀な集客のパーティになりました。
最初はスタッフによる仮装仕込みだったのが、回を増すにつれライテイングや県外からのドラッグクイーンのゲストを招きグレードアップしていったんです。」
私も楽しませてもらったパーティだが、確かに回を増すごとにグレードアップしていく感じであった。ただエクセレントという人気イベントが大きくなり一般人(ストレート)のお客さんが増える反面、リアルなゲイの方の参加が少なくなってしまったのは、パーティにはつきものの話であろう。
ここでゲイ・パーティの話をしましょう。
私はDJや制作の関係で年間5回以上東京に出張するが、昔から毎回、東京の仲間らと新宿2丁目のクラブには
顔を出すことにしている。
正直、オカマバーや女装系の店、音楽的にはBPMの早いおねぇ系のユーロビート系は好きではないのだが、昔と違い最近の二丁目のクラブ「ドラゴン」や「アーティファーティ」には、その夜を楽しもうとする各国から集まったゲイやバイの外人も多く皆ハッスルしているのである。
彼らは鍛えていて美しいし、個々のお洒落も楽しんでいる。まさに今のクラブが、無くしているものがここには存在するのである。
仕事柄、渋谷などでも様々な箱にも顔を出す。90年代後半からは、私が年をとったのか、世代が変わったのか、音楽や出会いを楽しむといった客よりは、携帯をいじったり、どんよりとした感じのハッパのりの若者が増えた感じがする。
それとは対照的に、新宿のゲイ・クラブには一体感や元気が存在する。そういった理由で通ってしまうのかもしれない。
またファッションや性向にしてもユニークな人が多く「スペシャリティ」を感じる。若い女の子などは敏感なので、よく連れて行って欲しいと言われ穴場を紹介している。
私は、1999年、DJヒンガ・ヒガらが参戦したDMCの世界大会関係でNYを訪れた際、「ジョー・クロウゼル」や「フランソワ・K」らのプレイで日本でも大人気のパーティ 「BODY&SOUL」に行った。
ご存知の方も多いと思うが、ノーアルコール、日曜日の夕方主催される一風変わったパーティである。(現在NYでは定期的にクラブでは主催されていない。)
日本では、西麻布「イエロー」など彼らを招きパーティが主催されていたので足を運ばれた方も多いだろう。
日本での「BODY&SOUL」パーティでイメージされているファンの方も多いと思うので、当時のNYの現場との雰囲気の違いを伝えることにする。
NYの現場ではゲイ、ゲイ、ゲイである。90%ゲイ。
ブラック系、イタリアン系、アジア系などなど、、
先程まで工事現場で「CAT」っていうヘルメット被って仕事していたでしょう系のオヤジもいる。体はマッチョだが、眼差しは草食動物系の優しさを持っていたりする。勿論ゲイである。
何と!そのクラブでは入場の際、着ているTシャツを2ドルでクロークに預け、裸になって踊る。
実際、長袖を着用しているお客は私とヨーロッパからの観光組数名のみあった。
ジョークロウゼルらのダンスクラシックスの選曲もいいのだが、あまりにもゲイのナンパ&社交空間になりすぎていて純粋に音楽を楽しめなかった経験が多い。
ジョーもEQをいじりすぎだった。
それ以降、私もナンパされる女性の気持ちが解るようになりクラブでは執拗にナンパしたり、また自分のパーティではそういった状況が起こらない様に極力務めている。(笑)
音好きには、「ティミー・レジスフォード」がレジデントDJを務める「シェルター」の方が楽しめたであろう。
ただ、どのクラブにしても欧米のクラバーは楽しもうとするスタンスがはっきりしているので、見ているだけでも楽しいし、こちらもパワーをもらった感じがする。
まあ長々と新宿やNYゲイ・クラブ系の話を盛り込んだが、言いたい事は、最近のクラブにはスペシャリティが少ないと言う事。
そして、そこには、お客やスタッフのパワーが必要であるという事である。
その要素を「BUMP」は持っていたと思う。
現在の東京では、夜のディズニーランド、まさにクラブのテーマパークである巨大クラブ「アゲハ」の出現によって、それを感じる事ができる。
最後にM‐893氏に沖縄クラブ・シーンについて語ってもらったものを掲載する。
「沖縄ではクラブも食事も安けりゃいいみたいな時代になっていて、大人のオシャレが育ってない。BUMPでは、音楽やクラブを通してそれを提案したつもりである。是非、粋な大人になってもらいたい。」
若き頃から銀座の大和屋シャツ店で自前のシャツを仕立て、スーツでキメる。仕事時と違い夜の遊びの場では、「ディーゼル」や「ステューシー」などのカジュアルでもあらわれる洒落者のM‐893氏は、表裏の世界を渡り歩いてきた、その筋でも知られた存在である。
生まれた場所や歳は違うが、M‐893氏は、今の日本人男性がなくしかけている「粋」という魅力と「ヤバさ」を持つ存在であり、私は彼に会う度に痛感させられる。「BUMP」というクラブを通して彼と知り合えた事を私は幸せに思う。
皆プロなので、音楽面や箱のハード面につぃては勿論語るが、行き着くところは、そこに集まる「空気」や「人」ということになり、人に関して言えば、「スタイル=生き様」という事になる。M‐893氏の生き様や「BUMP」というクラブを通して、多くのクラバーやDJが大人のオシャレやクラブの楽しみ方を学んだという事は間違いない。
沖縄のクラブ・シーンの核を担うことになったBUMPの伝説は、先にも述べたように97年12月オープニングでサトシ・トミイエ、木村コウのレヴェル9を迎える強力な幕開けに始まり、その後、沖縄は勿論、世界中からトップDJ多くが訪れ、数々の伝説の夜が生まれた。
98年にEMMA氏が訪れアグレッシヴなプレイを堪能した後、MTVのインタヴューでBUMPの音響とオーディエンスの熱さを語った事は有名だ。
99年の石野卓球氏、カールコックス氏2デイズ・パーティも全国的に話題となり、わざわざ沖縄にくるファンも多かった。
そのBUMPも3年と3ヶ月をもってクローズする事となる。そのファイナル・パーティでは、石野卓球氏に続き、木村コウ氏がプレイしレジデントのS‐MIXがデトロイト名曲「night of jaguar」で締めくくった。
初めがあれば、終わりがある
と気づかされた夜であった。
そして上の言葉にも関係するが、16年の月日を経て
一時休止する フリークショウ!の歴史を
次回から2回に分けて放送したい。
沖縄老舗レコードショップ、様々な伝説やイベントをも仕掛け 何故に 今 休止するのかを
オーナーである私 アンクル・カヤ 本人が語る事で
日本、沖縄のクラブシーンの誕生から現在の状況までが
ある意味 浮き彫りにされるでしょう~
那覇市でDJレコードショップを16年経営し、フリークプロダクションとしてもオキナワのクラブシーンに貢献してきたアンクル・カヤに、NY、東京のクラブの発祥時期から現在のオキナワクラブシーンにいたるまで、糸数美樹が質問をしながら語っていただくコーナーです。
今回 第10回放送のテーマは 「伝説のクラブ BUMP Pt.2」
前回は、現在、国際通りのBeGREEN場所にあった伝説のCLUB 「BUMP」を語りました。
今回は、そのBUMPのパーティの中でも際立って人気のイベント「エクセレント」を紹介!
そのパーティは、ゲイMIXパーティなのですが、
今回はその話にも関係して切っても切り離せない クラブカルチャーとゲイカルチャーの話を
しました。(新宿二丁目~80年代NY パラダイスガラージ~ラリーレヴァン)
番組の放送では、ミキトニーが、私が参考までにと渡したゲイ雑誌「BADI」にショックを受けたり、私も少々熱く語りすぎたので、補充も含めて UPしてます~
熱いトークお好みの方は↓番組へどうぞ
沖縄エクセレント、東京、NY~ゲイ・クラブのスペシャリティ
前回の放送「伝説のクラブBUMP pt.1」では、当時のビッグなパーティを紹介しました。
その中でも際立って目だっていたのが M-893氏プレゼンツの「エクセレント」は県内初のゲイ・ミックス・パーティである。
私はストレートなのですが、第1回目のパーティにオーガナイザーで参加したので詳細を語ることができますが、
一言でいうと、そこには、それまでの沖縄にない都会感と華やかさがありました。
特に一回目のパーティは、「沖縄にもこんなにゲイの方がいらっしゃったんだ~」と思わせる位、
沖縄、本土、外人の「組合の方」が集まり、ドラッグクイーンや仮装した女性も多く参加した。
2FのVIP席ではシャンパンが空けられ、まさに「大人達の宴」そのものであった。
オーガナイザーのM‐893氏は当時の「エクセレント」をこう語ってます。
「エクセレントは、東京のパーティ「ブレンド」を参考にさせていただきました。
パーティネーム同様、大人の感覚を大切にする
ゲイ・ミックス・パーティです。2000年9月からスタートし過去12回開催し現在までトータル集客は1万人をこえるでしょう。
沖縄では稀な集客のパーティになりました。
最初はスタッフによる仮装仕込みだったのが、回を増すにつれライテイングや県外からのドラッグクイーンのゲストを招きグレードアップしていったんです。」
私も楽しませてもらったパーティだが、確かに回を増すごとにグレードアップしていく感じであった。ただエクセレントという人気イベントが大きくなり一般人(ストレート)のお客さんが増える反面、リアルなゲイの方の参加が少なくなってしまったのは、パーティにはつきものの話であろう。
ここでゲイ・パーティの話をしましょう。
私はDJや制作の関係で年間5回以上東京に出張するが、昔から毎回、東京の仲間らと新宿2丁目のクラブには
顔を出すことにしている。
正直、オカマバーや女装系の店、音楽的にはBPMの早いおねぇ系のユーロビート系は好きではないのだが、昔と違い最近の二丁目のクラブ「ドラゴン」や「アーティファーティ」には、その夜を楽しもうとする各国から集まったゲイやバイの外人も多く皆ハッスルしているのである。
彼らは鍛えていて美しいし、個々のお洒落も楽しんでいる。まさに今のクラブが、無くしているものがここには存在するのである。
仕事柄、渋谷などでも様々な箱にも顔を出す。90年代後半からは、私が年をとったのか、世代が変わったのか、音楽や出会いを楽しむといった客よりは、携帯をいじったり、どんよりとした感じのハッパのりの若者が増えた感じがする。
それとは対照的に、新宿のゲイ・クラブには一体感や元気が存在する。そういった理由で通ってしまうのかもしれない。
またファッションや性向にしてもユニークな人が多く「スペシャリティ」を感じる。若い女の子などは敏感なので、よく連れて行って欲しいと言われ穴場を紹介している。
私は、1999年、DJヒンガ・ヒガらが参戦したDMCの世界大会関係でNYを訪れた際、「ジョー・クロウゼル」や「フランソワ・K」らのプレイで日本でも大人気のパーティ 「BODY&SOUL」に行った。
ご存知の方も多いと思うが、ノーアルコール、日曜日の夕方主催される一風変わったパーティである。(現在NYでは定期的にクラブでは主催されていない。)
日本では、西麻布「イエロー」など彼らを招きパーティが主催されていたので足を運ばれた方も多いだろう。
日本での「BODY&SOUL」パーティでイメージされているファンの方も多いと思うので、当時のNYの現場との雰囲気の違いを伝えることにする。
NYの現場ではゲイ、ゲイ、ゲイである。90%ゲイ。
ブラック系、イタリアン系、アジア系などなど、、
先程まで工事現場で「CAT」っていうヘルメット被って仕事していたでしょう系のオヤジもいる。体はマッチョだが、眼差しは草食動物系の優しさを持っていたりする。勿論ゲイである。
何と!そのクラブでは入場の際、着ているTシャツを2ドルでクロークに預け、裸になって踊る。
実際、長袖を着用しているお客は私とヨーロッパからの観光組数名のみあった。
ジョークロウゼルらのダンスクラシックスの選曲もいいのだが、あまりにもゲイのナンパ&社交空間になりすぎていて純粋に音楽を楽しめなかった経験が多い。
ジョーもEQをいじりすぎだった。
それ以降、私もナンパされる女性の気持ちが解るようになりクラブでは執拗にナンパしたり、また自分のパーティではそういった状況が起こらない様に極力務めている。(笑)
音好きには、「ティミー・レジスフォード」がレジデントDJを務める「シェルター」の方が楽しめたであろう。
ただ、どのクラブにしても欧米のクラバーは楽しもうとするスタンスがはっきりしているので、見ているだけでも楽しいし、こちらもパワーをもらった感じがする。
まあ長々と新宿やNYゲイ・クラブ系の話を盛り込んだが、言いたい事は、最近のクラブにはスペシャリティが少ないと言う事。
そして、そこには、お客やスタッフのパワーが必要であるという事である。
その要素を「BUMP」は持っていたと思う。
現在の東京では、夜のディズニーランド、まさにクラブのテーマパークである巨大クラブ「アゲハ」の出現によって、それを感じる事ができる。
最後にM‐893氏に沖縄クラブ・シーンについて語ってもらったものを掲載する。
「沖縄ではクラブも食事も安けりゃいいみたいな時代になっていて、大人のオシャレが育ってない。BUMPでは、音楽やクラブを通してそれを提案したつもりである。是非、粋な大人になってもらいたい。」
若き頃から銀座の大和屋シャツ店で自前のシャツを仕立て、スーツでキメる。仕事時と違い夜の遊びの場では、「ディーゼル」や「ステューシー」などのカジュアルでもあらわれる洒落者のM‐893氏は、表裏の世界を渡り歩いてきた、その筋でも知られた存在である。
生まれた場所や歳は違うが、M‐893氏は、今の日本人男性がなくしかけている「粋」という魅力と「ヤバさ」を持つ存在であり、私は彼に会う度に痛感させられる。「BUMP」というクラブを通して彼と知り合えた事を私は幸せに思う。
皆プロなので、音楽面や箱のハード面につぃては勿論語るが、行き着くところは、そこに集まる「空気」や「人」ということになり、人に関して言えば、「スタイル=生き様」という事になる。M‐893氏の生き様や「BUMP」というクラブを通して、多くのクラバーやDJが大人のオシャレやクラブの楽しみ方を学んだという事は間違いない。
沖縄のクラブ・シーンの核を担うことになったBUMPの伝説は、先にも述べたように97年12月オープニングでサトシ・トミイエ、木村コウのレヴェル9を迎える強力な幕開けに始まり、その後、沖縄は勿論、世界中からトップDJ多くが訪れ、数々の伝説の夜が生まれた。
98年にEMMA氏が訪れアグレッシヴなプレイを堪能した後、MTVのインタヴューでBUMPの音響とオーディエンスの熱さを語った事は有名だ。
99年の石野卓球氏、カールコックス氏2デイズ・パーティも全国的に話題となり、わざわざ沖縄にくるファンも多かった。
そのBUMPも3年と3ヶ月をもってクローズする事となる。そのファイナル・パーティでは、石野卓球氏に続き、木村コウ氏がプレイしレジデントのS‐MIXがデトロイト名曲「night of jaguar」で締めくくった。
初めがあれば、終わりがある
と気づかされた夜であった。
そして上の言葉にも関係するが、16年の月日を経て
一時休止する フリークショウ!の歴史を
次回から2回に分けて放送したい。
沖縄老舗レコードショップ、様々な伝説やイベントをも仕掛け 何故に 今 休止するのかを
オーナーである私 アンクル・カヤ 本人が語る事で
日本、沖縄のクラブシーンの誕生から現在の状況までが
ある意味 浮き彫りにされるでしょう~
Posted by unqle K at 15:43│Comments(0)
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